正式な名称を「石州街道銀の道」といい、現在の島根県大田市の石見銀山の中心地であった大森から、銀や鉱山石を港に運ぶために利用されていた旧街道のことを言います。「銀の道」には、大森から日本海へ抜ける道と瀬戸内海へ抜ける道とがあります。日本海へ抜ける道は、「鞆ヶ浦道」と「温泉津沖泊道」、瀬戸内海へ抜ける道は「尾道道」と「笠岡道」がありました。大森から尾道の港へは、幕末まで、馬300頭と400人という大輸送隊が3泊4日の行程で銀を運んでいたといわれています。
「銀の道」の出発点は島根県大田市の大森銀山。銀の産出でにぎわった当時を偲ばせる古い町並みが今も残る大森地区には、おしゃれなお店や観光スポットがならび、一日ゆったり見て回っても飽きることはありません。さぁ、銀の道をサイクリングで極める前に、まずは、銀のまちから、軽く足馴らしといきましょう。
1902(明治35)年に建てられた邇摩郡(にまぐん)役所をそのまま利用した資料館。かつて大森代官所が建っていた場所でもあり、その跡は国の史跡に指定されています。
左右の石窟に、それぞれ250体ずつ羅漢像が安置されています。石工の坪内平七とその一門によって約 20年の歳月をかけて彫像され、一体一体表情や姿が違います。
1766(明和3)年創立の、真言宗の寺。銀山で亡くなった人々の霊を供養するため、代官や代官所役人、領内の人々の協力で25年もの歳月をかけて完成しました。
16世紀中頃に創建された、精錬の神・金山彦命(かなやまひこのみこと)を祀る神社。山神社の中で国内最大級の社殿を誇り、当時の隆盛を物語っています。
石見銀山の間歩群では7ヵ所が国の史跡として登録されており、現在唯一公開されているのが龍源寺間歩。壁面には、銀を採掘した当時のノミの跡が残っています。