早朝大森を出発した輸送隊は、日暮れ時に九日市に着く。第一夜を迎える宿場には、本陣「原田屋」と脇本陣「鍛冶屋」があった。
観音菩薩の変化身の一つ。江戸時代には家畜の守護神であり、旅の安全を守る菩薩でもあった。供養のために建てられたものも多い。
出雲との国境となるこの番所には、他の番所ではあまり例のない、門が道をまたぐようにして建てられていたという。
出雲の国と石見の国との国境を示す標木。1826年に立て替えたという記録もある。傷みがひどく朽ちていたため、2006年に復元された。
戦国時代、真言宗布教のために訪れた権大僧都京楽院徳有は、尼子・毛利の戦で苦しむ多くの村人たちを救ったと伝えられている。
銀の道は赤名で出雲街道と合流する。街道脇には、1856年代に建てられた道標が残っている。
街道は、いよいよ赤名峠にさしかかる。その坂の口に、旅人の行路安全を祈る馬頭観音が残されている。
出雲と備後の国境で、昔から難所として知られていた。当時の街道は、赤名トンネル手前から急な坂を上るように進んでいた。